「赤ん坊は、痛みを感じないのでトラウマにならい。」 その結果、麻酔なしに処置をすることもあったそうです(1960年代)。
「ADHDの子供は、トラウマにならない。」(2000年当時、日本では指折りの専門家に直接伺った時の回答)2020年段階では、ADHDを疑われている子供の3分の2位は、トラウマが影響しており、擬ADHDという言葉も使われています。
「親が我が子を虐待するはずがない。」と専門家が言っており、日本に「児童虐待」という言葉が使われ始めたのは、ここ20年です。 多くの子供は、自分が親から虐待されていても気づいていません。親も、虐待しようとしてやっているわけではありません。虐待行為は、フラッシュバックと言っても過言ではないと思います。
私自身、トラウマセラピーの研修の中で、自分の中に「トラウマ」を発見しました。
上記の三つをすべて体験していたのでした。
どのトラウマも影響力が大きかったですが、意外なことに、生き方を変える(楽に生きる)ようになったのは、いじめを受けていた記憶でもなく、学業や仕事上で逆境を乗り越えていたときのトラウマでした。
それは、誰にも相談しないで、一人で歯を食いしばっていた時に封印した感情でした。
対外的には、よく頑張ってやり遂げたと評価される体験でした。
しかし、その称賛は、封印された感情を癒すどころか、より押し込めるものとなっていました。
そのことは、長年、心の痛みとしても感じていませんでしたが、しかし、体の中から何かしら常に突き上げてくる感覚がありました。
当然、心は安定していませんでした。心の中の状態を湖の水面に例えると、常に波打っていました。
周囲からは、多動ではあるが冷静で、何でも頼める人に見られてはいたと思います(発達性トラウマの方の特徴の一つ)。
生きづらさの正体は、自分でも気づいていない奥底のトラウマであったと思います。
心の中の湖の水面に、満月がきれいに映って見えるような生活は、人生経験の荒波を体験したからこそ築けるのだと思います。
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